徒然なるままに社長日記

人手不足という虚構

2026-05-18T00:00:00.000Z

しかし私の感覚では、実際には人手不足ではない。相対的に低賃金の仕事に、人がまったく応募しないというだけの話だ。

私のような、バブル崩壊後と就職氷河期の平成初期を知っている者からすれば、良い時代になったなぁと思う。

サービス残業は厳しく規制され、いわゆる「そういうマインド」の時代が悪とされ、 ようやく個人の権利というものが尊重される時代になったのだと思う。

愛知県の最低賃金が1140円(2025年10月18日から)になったというのは、 当時の人間からすれば驚きを隠せない。 なんか、630円とかで学生バイトしてたなぁ、という記憶がある。

ちなみにこの63円という上げ幅は、過去最大だそうだ。

さて、日本は「人手不足、人手不足」と騒がれている。

しかし私の感覚では、実際には人手不足ではない。 相対的に低賃金の仕事に、人がまったく応募しないというだけの話だ。 最低賃金が上がったことにより、全体の給与水準が底上げされた。 一昔前では考えられなかった時給2000円という求人も、いまやザラにある。 そういう仕事には、たとえ介護であっても、 平均より高い給与で求人を出したら応募が殺到した、という話も聞く。

人は、居るのだ。 人が不足しているのではない。

より魅力的な給与を提示する求人が増えたことで、 給与の少ない仕事には誰も応募しなくなった——ただそれだけのことである。

これを私は、「人手不足という虚構」だと考えている。

では、給料を上げれば良いではないか。

そう言っても、「ウチはこれが限界で、給料は上げられないんだ」という問答になるだろう。

では、この問題は、ケチな経営者が悪いのか。経営能力のない経営者が悪いのか。

私は、事はそう単純ではないと考えている。

日本独特の風習である、多重下請け構造に原因があるのではないか。 本来、その仕事に支払われる金額は、 十分な額、もしくは高額であると仮定しよう。 しかし、そういう儲かる仕事には、たいてい、右から左へ仕事を流すだけの中間の下請けが存在する。

ここで誤解のないように言っておきたい。 下請け構造そのものを批判するつもりはない。 専門性が必要とされる工程に専門チームをアサインする、という外注には、明確な合理的理由がある。

問題となるのは、そこではない。 中間で何の価値も生み出すことなく、 マージンだけを取って右から左へ流す業者——これが問題なのだ。

判定の基準は一つ。 その業者が、何かしらの価値を加えているか、いないか。それだけである。

仕事というのは、本来、何かしらの価値を生み出して経済を回すものだ。 何も生み出さず、 ただ下請け構造にぶら下がってマージンだけを抜き、 再下請けに流す。

発注元、一次下請け、二次下請け、三次……。 これは噂の域を出ない、と思っていたのだが、調べてみると国土交通省の実態調査がある。

建設現場の下請けは平均で3.5次に及び、 最大では7次まで存在するケースも報告されているという。 噂ではなかったのだ。

そして国も、この構造を問題視している。 下位の下請けになるほど賃金などの処遇が悪化していくため、 いくつかの府県では公共工事で下請けの次数そのものを制限する取り組みが始まっている。

大手ゼネコンですら「原則二次下請けまで」を掲げ始めた。末端の職人に、 本来支払われるべき対価が届いていない——それが公式に認識されている、ということだ。

このように、中間で富が抜かれていく国では、 必要な人に必要な金が回らず、 経済が疲弊していくというのも、納得のいく話かもしれない。

日本は、人手不足ではない。 給与の安い求人に、応募が集まらないだけだ。

そして、その「給与の安さ」の背景には、多重下請けという構造的な問題があるのではないか、と私は思う。

いずれ時代が変わり、中間でマージンだけを取る者たちも、消えていくのかもしれない。

中間マージンだけを抜いて、それを「うまくビジネスをやっている」と豪語する経営者を見るのも、 正直、辟易している。何を生み出したのか、と問いたくなる。

時代は、常に正しい方向に向かうとは限らない。だが、常に変わりゆくものではある。 そういうものも、いずれ変わっていくのだろう。