徒然なるままに社長日記

髪の色とネイルと人格権

2026-05-17T00:00:00.000Z

日本においては、人格権というものはかなり軽視されているのではないか。と感じることが結構ありますね。

最近、聞いた話だが、 やはり髪の色とかネイルは禁止という日本企業は多いようだ。

黒髪、目立たないネイル、目立たない服装。 個人の色を消した姿というのが、 日本の企業には価値のあるものなのだろう。 これは昭和の時代からの惰性だろうか。

時代は変わり、個人の権利や個人の自由、 そして価値観や生き方、民族の多様性が尊重される時代になった。 個人のあり方そのものが尊重される時代だと言ってもいい。

ここで一つ、重要な概念を置くとしよう。 個人の容姿を規制するのは、人格権の制限である、と。 自分の見た目をどうするかという自己決定の自由は、 基本的人権に基づき、当然かつ自然に与えられた権利だと言える。

ここで疑問が出る。 憲法は国家や官公署を縛るものであって、 私人間同士を縛るものではない。 むしろ私人間同士は、契約の自由という民法の原則によって、 公序良俗に反しない限り、どのような契約でも有効とされている。

しかし、憲法が国家を縛り、かつ最高法規であるならば、 民法もまた憲法の縛りを受けるものだと考えるのが自然ではなかろうか。 であるならば、民法が規定する「契約」という概念の基礎にも、 基本的人権というものは当然に流れ込んでいるはずだ。

そうすると、契約という行為は、基本的人権の尊重をその土台に置いた上で、 初めて成り立つものだということになる。 実はこの考え方は、私の思いつきではない。

法律の世界では「間接適用説」と呼ばれ、 私人間の人権問題は、憲法を直接持ち出すのではなく、 民法の公序良俗(民法九十条)などを通じて、 間接的に調整される——というのが確立した立場である。

であるならば、髪の染色は禁止、ネイルは禁止といった、 個人の容姿を規制する社内規定は、 原則として無効なのではないか、と私は思う。

ただし、合理的な理由がある時は、その限りではない。

問題は、その「合理的」とは何か、である。 私が思うに、ここで足りないのは、 「風紀が乱れる」「外からの印象が悪くなる」といった、 抽象的・情緒的な理由だ。

これらは、いくらでも言える。言えてしまうからこそ、理由にならない。

求められるのは、職務との具体的な関連性である。 その容姿の自由を制限しなければ、 実際にどのような支障が、どの程度の規模で生じるのか。 何人から、どのようなクレームが出ているのか。 業務にどのような実害が——できることなら金額として——発生しているのか。

そこまで具体的に示されて、初めて「合理的」と呼べるのではないか。

基本的人権、つまり個人の容姿に対する自由を制限するには、 それだけ強く、具体的で、社会通念上も合理的だと認められる、 確固たる理由が必要である。

これが、現代の法律的な考え方に近いのではないだろうか。 時代が変わった以上、社会も変わっていかなければならない。

そして、それに取り残される企業は、 やはり人手不足ということになるのであろう。